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住宅事情激変の予兆

2024年10月23日


 


2025年、日本は大きな節目を迎える。


戦後のベビーブーム世代、団塊の世代がほぼ全員後期高齢者の仲間入りをするからだ。後期高齢者になるとそれまでと比べて健康を維持することが難しくなり行動範囲が狭くなることは間違いない。後期高齢者の10人に1人は高齢者施設などに既に入所あるいは入所待ちの状態でもある。前期高齢者のころは定年後、退職金も入り、子育ても終わり、住宅ローンも完済して旅行や趣味などに費やす金銭的、精神的そして体力的ゆとりもあった人たちも、次第に家に籠りがちになってくる。つまり消費人口の減少をもたらすことを意味する。


私はこの世代がまだ40代のころから30年以上にわたり継続観察してきた。


60年代から70年代にかけて高度成長で人手不足という時代背景もあり、東京など大都市へ地方から一斉に若年労働力の移動がおきたがその中心がこの団塊の世代だった。全共闘ブーム、結婚ブーム、第二次ベビーブームと常に社会現象の中心にあった彼らは、東京都内の下宿や賃貸アパートから郊外の団地、そしてマイホームへと住宅のニーズを移してゆく。


当時の評論家大宅壮一は団塊世代の住宅事情を「方荘棟字」という四字熟語風に表現した。


すなわち、学生時代は下宿で「...様方」の三畳一間、就職すると「あけぼの荘」「富士見荘」と言った木賃アパート、結婚して子供ができると2DKの団地に入ろうと高い競争率に挑戦する。そしてようやく手にしたマイホームは超郊外の農地の中で住所は「字」だった、というわけだ。


 


首都圏においてその「字」を供給したエリアは国道16号沿線であった。山手線のターミナル駅まで電車で小一時間、京浜急行や東海道線で言えば横浜周辺、小田急線なら町田や相模大野、京王線や中央線なら八王子、西武線や東武線なら川越、京浜東北線なら大宮、常磐線なら柏、総武線なら千葉という具合に首都圏30キロから40キロ圏を環状する国道16号とぶつかるあたりの駅周辺にニュータウンが形成された。


現在ならもっと都心から遠いところまでマンションがならび、駅近くに若いサラリーマンが戸建て住宅を一次取得するのは至難の業であるが、団塊の世代がバブル期以前に買い求めたこのエリアのマイホームはおおむね土地付き一戸建てだった。80年代一世を風靡したテレビドラマ「金曜日の妻たちへ」の舞台は、まさに田園都市沿線のこのエリアが舞台で、ニューファミリーは田舎に暮らす親の世代とは別居し、これまでの日本の家庭とは異なる新しい価値観で生活を楽しんだ。


それから40年近くが過ぎた。


 かつてはニューファミリー消費のメッカとして多くの商業施設が立ち並んだ国道16号エリアは、いま全国でも有数の後期高齢者の急増エリアとなった。地方出身の団塊の世代が後期高齢者、そこで生まれた団塊ジュニアも中高年だ。首都圏に住む団塊の世代は現在でも約155万人、中でも国道16号が通る神奈川、千葉、埼玉3県が目立つ。団塊の世代の持ち家が土地付き戸建てである場合が多かったので、そこに二世帯住宅を建て直したという例も多いが、団塊ジュニアが別居して独居老人世帯も目立つ。あと10年もすれば、このエリアで家の相続問題が発生することになる。


 


団塊ジュニアは親の世代ほど子供の数が多くはなく、しかも首都圏どうしあるいは近畿圏どうしの結婚例が多い。団塊の世代の時は東北や九州から首都圏に出てきた人が結婚するようにお互いの郷里が遠距離という場合も多かったものだ。


その点団塊ジュニアは結婚した相手も首都圏に持ち家があるケースもあるから、何人もの子供が一軒の親の家の相続権を争うということは少ないとみられる。


例えば団塊ジュニアの長男が親の家を相続したとして、団塊ジュニアがそこに住み続けるのかは疑問だ。団塊ジュニアもそろそろ定年後のことを考える。リモートワークの時代でもあり、親から引き継いだ土地付き一戸建てを売却したカネで、もっと都心のタワマンに移ることもあるだろうし、逆にもっと東京から離れた超郊外に移住すれば、家の売却金を相当残して老後資金を確保したうえもっと広い家に住み替えることも可能なわけだ。


いずれにしてもこれから十年、首都圏の住宅事情は40年に一度の大激変を迎えることになる。