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お知らせ

スマホが滅ぼしたもの

2024年8月26日

「アート引っ越しセンター」の社名は「アート」だと電話帳のトップに名前が掲載されるという計算から生まれた。昔は引っ越しを考えるとまず電話帳で業者をさがすものだったのだ。


電話帳は生活に欠かせないツールだった。その電話帳がいよいよ消えるという。 


電話帳だけではない。「分厚いもの」は軒並み時代遅れになりつつある。


広辞苑などの大型の辞書、百科事典、イミダス・知恵蔵・現代用語の基礎知識・・・。


会社四季報に時刻表までもがどんどん消えつつある。


 日本で本格的な時刻表が初めて発売されたのは、明治27年(1894年)の10月5日のことである。「汽車、汽船旅行案内」という名前がついていた。小説や紀行文など読み物のページもあり、旅行ガイドブックを兼ねたものだった。


私は中学生のころから時刻表を愛読していた。当時はお金がないから時刻表の中で架空の旅を楽しんでいた。やがて国鉄全線踏破を目指すようになると,周遊券とそれで乗れる夜行の急行で全国を回った。夜、下りの列車に乗ると反対の上りのページの時刻表を開き、何時何分にどのあたりですれ違うかを予想して一晩中起きていたものだった。


 時代は下り、新幹線中心のダイヤではあまりにも単純で時刻表をめくる楽しみも失せた。昔の時刻表は欄外に該当する路線で販売している駅弁の紹介などもあったが、いまは地方の駅で駅弁を販売しているところも少ないし、車内販売さえなくなりつつある。少し大きめの駅でも入っているのはコンビニ、これでは地方色も薄れる一方だ。


時刻表がなくてもスマホで検索できる時代、これではもはや趣味とは言えなくなってしまった。


 


 


 



また買ってしまった・・

2024年8月21日

 


前橋にはさまざまな小売業が進出しているため、欲しいものが最安値で買えることに満足している。生鮮三品はじめ家電、家庭用品、家具などあらゆるものがそれぞれの大型量販店で手に入るが、もう一つ私が満足しているのがシャトレーゼ、市内に三店舗ある。


山梨から全国に展開する菓子のチェーンだ。山梨の農産物とアルプスの天然水をベースに地方都市発ならではの低価格商品で人気を集める。オリジナリティあふれる和洋菓子を豊富に用意しているが、中でも人気があるのがアイスクリームや氷菓子で、夏場は商品が払底するほどの売れ行きである。


シャトレーゼは私が主催する「GS世代研究会」のメンバー企業でもあり、本社や工場の見学などもしてきて将来性を確信していたが、実は創業者で会長の齊藤寛さんが先日90歳で亡くなった。現在の山梨県甲州市勝沼町出身の齊藤さんは地元の高校卒業後、20歳だった1954年に甲府市内で焼き菓子店を創業して菓子店の経営を始め、1967年にシャトレーゼを設立して社長に就任した。 洋菓子やアイスクリームなど素材にこだわったものを低価格で販売することで今年1月には店舗が国内外で1000店にまで拡大するなど日本を代表する菓子メーカーに成長させた。


同様の菓子チェーンとして老舗の不二家があるが、銀座から創業した不二家が銀座の価格を全国展開したのに対し、シャトレーゼは地方都市の価格を全国展開しているあたりに経営発想の違いがあると考える。



ドン・キホーテの躍進

2024年8月19日


草創期からマークはしていたが、まさかここまで来るとは正直驚いている。ある意味ユニクロ以上の急成長と言える。「ドン・キホーテ」のホールディング会社、PPIH(パンパシフィックホールディングス)は今や年商2兆円を超える日本有数の小売り業になった。日本はもとよりアジア6か国・地域に45店舗を持ち、ホテルや不動産業などを多角的に経営する企業体にのしあがった。創業者安田隆夫氏が自ら起業、西荻窪駅近くの泥棒市場という名のディスカウントストア(まあ実態は闇市だった)から身を起こし、長崎屋やアピタ(ユニー)といったスーパーを傘下に収め、気が付けば海外にまで展開するビッグビジネスになっていた。


「ドン・キホーテ」の品ぞろえはここにきて食品、なかでも生鮮品の取り扱いが増えている。これはスーパーを買収したことによるメリットだ。とくにシンガポールの店では食品の売り上げ割合が9割を占める。日本の菓子や調味料なども積極的に扱い、日本に行ったことがある人の継続購買を促しているし、「いつか日本に行ったらドンキに寄ってほしい」というメッセージにもなっている。実際シンガポールでの「ドン・キホーテ」の人気は絶大だ。進出から5年足らずで12店舗まで拡大、在留日本人のみならず現地のシンガポール人の間でも歓迎され、刺し身や寿司、そして日本の果物などがよく売れているという。海外の「ドン・キホーテ」の特徴は現地化を徹底していることだ。従業員のほとんどは地元の人で店長以下仕入れから陳列、価格設定までローカル性を重視する。創業者の安田隆夫氏が2015年にシンガポールに移住した際に、現地の日本食品の高さに驚いたことから、この方針を徹底したという。2030年までに海外の売り上げを1兆円まで増やす目標を掲げている。


「ドン・キホーテ」の販売商品は食品以外にも家電から衣類、ドラッグ用品など様々なジャンルに及ぶ、独特の目立ち、長いフレーズのPOPで客の興味をそそる販売手法はあらゆる商品を雑貨的に扱うところに特徴がある。整然としていないことこそオリジナリティある販売手法である、ということだ。百貨店やスーパーと言ったこれまでのビジネスモデルとは対極にある「混沌の泉から湧き出てくるような商品構成」を魅力に変えたことが成功の秘密だろう。


日本人だけでなく外国人からの支持を受けて、日本最大の小売業グループになることも夢ではなくなってきた。


 



近江屋、伊勢屋、三河屋・・・・

2024年8月19日


世界最古の民間企業は西暦578年創業の大阪の会社、金剛組と言われている。


実に創業1500年近い、寺社建築の実績を誇るこの会社は奈良時代よりも前の飛鳥時代の創業だ。


和菓子の「とらや」は室町時代後期の京都で創業、後陽成天皇の御在位中(1586〜1611)から御所の御用を勤めてきた。明治2年(1869)東京遷都にともない、天皇にお供して京都の店はそのままに東京に移り現在に至る。


日本の企業の歴史は他国を圧倒しており、100年以上の社歴を持つ会社が数多ある。それほど大きな企業でなくても江戸時代以来の伝統を持つ事例は多い。


東京に多い三河屋、駿河屋という屋号の店は徳川とともに今の静岡県や愛知県にルーツを持つ店が江戸に移転し代々引き継がれた由来だろう。


あるいは近江屋は近江商人、伊勢屋は伊勢商人を系譜にしている可能性が大きい。


近江の地は東海道と北國街道が交差し情報と物流の集積地だった。丸紅や伊藤忠、野村證券に高島屋、ふとんの西川などはこの地を起源とする。伊勢もお伊勢参りの参道で人の行き交う地だ。江戸で開花した三井高利から始まる三井グループ、国分などで知られる。ちなみにイオンの起源である岡田屋呉服店はもとをたどれば近江商人だが、その後伊勢街道沿いの四日市に移っている。


地域に根差し、情報のアンテナを張り、そして日本国内はもとより世界へ飛躍していった伝統企業、この日本の企業風土が今後どう変わってゆくか興味深い。