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お知らせ

14年目の誕生日

2025年4月18日

今日は誕生日である、と言っても私ではない。


2011年4月18日、「GS世代研究会」が発足した。


「GS世代」とは私が本で紹介した造語で、ゴールデンシクスティーズ、「黄金の60代」という意味だ。もちろんそこには「グループサウンズが好きな世代」という意味も掛けている。


2011年と言えば、戦後のベビーブーム世代が60代になり退職年齢に達する頃だった。退職金も入り住宅ローンも完済、子育ても峠を越えてようやく豊かな時間と、少しばかりの余裕資金を持つ頃で、これからしばらくは彼らがどんな消費行動をとるかが重要なマーケティングのポイントと、「GS世代攻略術」という本に書いた。すると多くの賛同者が集まり「GS世代研究会」という勉強会を作ろうということになった。


最初の発起人会が開かれたのが2011年4月18日、六本木のハリウッド化粧品の会議室に22の企業と自治体が集まった。マスコミにも取り上げられ会はみるみる成長してゆく。特徴は多くの自治体と、大企業と地方の中小企業が一堂に会したこと、意外にこういう会はないものだ。最盛期自治体と企業数は400を超えた。


「GS世代研究会」はシンポジウムや分科会、見学会なども開催しつつ、ショッピングセンターなどでの販売会、カタログ販売、クルーズなど様々な活動を展開、特に「歩き愛です(あるきまです)」と名付けたウォーキングイベントは自治体が開催し、「GS世代研究会」の企業がたくさんの参加賞を用意して全国150か所以上で開催する盛り上がりを見せた。


残念ながらコロナ禍でそうした活動は途切れてしまったが、いまも事業会社「グッドセレクト」を窓口に細々ながらマッチング活動を行い、高齢者マーケティングのお手伝いをしている。


14年前の「GS世代」は今年ほぼ全員が後期高齢者となり、日本経済は明らかに縮小傾向をたどってゆく。アメリカの保護貿易主義への傾斜もあり、日本は内外ともにブレークスルーが求められている。


 



戦後80年の節目

2025年4月 3日


戦争を知らないベビーブーマーがほぼ全員75歳以上の後期高齢者となる今年は、日本にとって大きな試練の年になった。


米ソ対立の代理戦争でもあった朝鮮動乱で日本はアメリカ主導の自由陣営の太平洋の防波堤としての役割も担うことになった。
自衛隊の発足、日米安保条約の締結は日本が望んだというよりは当時のアメリカの強い意志によるものだった。


アメリカの傘のもと、日本は経済復興に邁進しやがてアメリカをしのぐような工業力を持つにいたる。国内需要が限られる日本にとって広大なアメリカ市場に進出することは大きな魅力だった。


アメリカから見れば、日本は安全保障をアメリカに委ね、注力した経済力でアメリカの産業を苦しめてきた、という見方もできたのかもしれない。


日本はアメリカを守ってくれるわけでもない、一方的にアメリカが日本を守るのはおかしい。日本車がアメリカ市場を席巻しているのに、日本はアメリカ車を買わない。


基幹産業の鉄鋼企業を日本は買収するのか。


 いくらでも反論はできるが、アメリカの思い込みは相当なものだ。ある意味、トランプ大統領の登場は必然だったのかもしれない。


 戦後80年、これまで日本が平和にひたすら経済発展に邁進できた「アメリカという恩恵」が消えてなくなるかもしれない、という大きな節目を迎えた。日本同様アメリカとの同盟関係の恩恵に浴してきたヨーロッパも、あるいはカナダもメキシコも同様にこれからはアメリカに頼らずやっていかなければならないと覚悟を決めつつある。


 思えばトランプは「自分勝手な野郎」である。しかし、世界の大国で現在も過去も見回してみて大国はいつも基本的に「自分勝手な野郎」ばかりだった。歴史はそれは今に始まったことではないと教えてくれている。


 時間はかかるだろう。80年もむさぼった太平のツケを払うのだから、それは大変だ。


 しかしほかに生きる道は、ない。


 周辺国と同盟を模索し安全保障の新たな枠組みを構築する。アメリカ一辺倒に頼る経済ではなく、世界をひろく見渡して日本製品の販路を開拓してゆく努力をするしかない。


 戦後80年、これまでとは違う世界が訪れようとしている。


 圧倒的な優位性を誇ったアメリカはもういない。


 覚悟を決める時がやってきた。